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赤と黒 誤訳の真相 |
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光文社古典新訳文庫から最近刊行された「赤と黒」に多くの誤訳箇所があることが、立命館大学の下川教授によって指摘され、マスコミを少し賑わせました。私はたまたま「赤と黒」を読み始めたところだったので、下川教授が指摘された箇所を自分で検証してみましたが、教授がおっしゃる通り、ひどい間違いが何箇所もあり、フランス語の基礎学力がない人間が訳したとしか思えない箇所もありました。 |
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[8.18.2008更新] |
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赤と黒の誤訳をめぐって(1) |
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しばらく前から、スタンダールの「赤と黒」を読んでいます。まずフランス語の原文を読み、それを辞書を使ってノートに英訳し、それをPENGUIN CLASSICSシリーズの英訳本と対照して答えあわせをし、最後に新潮文庫の日本語訳を読むという、おそろしく時間がかかる方法で読んでいます。しかし、これだけの作品を、一凡夫である私がぞんざいに読むなどということは、とうてい許されることではありません。私にできることは、スタンダールが残した濃密な文章を一つ一つ理解させていただくことだけです。 この小説を読むと、やれ芥川賞だ〜、やれ直木賞だ〜などと言っている今の作家の小説など読む必要が全くないことがよくわかります。今の作家諸君は絶滅して大いにけっこう、その代わり「赤と黒」を何度も熟読するほうがよほど人生の糧になるというものです。スタンダールは、心理描写の密度が圧倒的に濃いのです。登場人物の心理がAからBに変化するとき、その間の過程が10段階あるとすると、その10段階全てを克明に書いているのです。しかし、今の作家の本を読んでも、せいぜい2〜3の段階しか書いていません。全てを書きつくす筆力がないのです。 それはさておき、昨年出版された、光文社古典新訳文庫「赤と黒」に多くの誤訳があることを知りました。立命館大学の下川茂教授が、訳者の野崎歓氏を痛烈に批判されています。下川教授は、スタンダール研究会の会報(http://www.geocities.jp/info_sjes/)で、誤訳箇所について詳しく指摘しておられます。いったい、どんな誤訳なのか、私が気になった箇所を一つ引用してみます。 次に載せるのは、「赤と黒」第1部第15章の真ん中あたりのシーンで、主人公のジュリヤンが夜中の2時にレーナル夫人の部屋を訪れようとしているところです。彼は、決心はしたものの、体が震えたりしています。そこに、夫であるレーナル氏の部屋から大きないびきが聞こえてきたので、今ならレーナル氏に気づかれることなく夫人の部屋に入ることができると思うのです。 文章は、上から順に、@原文 APENGUIN CLASSICSシリーズの英訳 “The Red and the Black” B新潮文庫「赤と黒(上)」(小林正 訳) C光文社古典新訳文庫「赤と黒(上)」(野崎歓 訳)<第2刷 2008.2.8 発行> D光文社古典新訳文庫「赤と黒(上)」(野崎歓 訳)<第3刷2008.3.15 発行> となっています。 @ Il était sans souliers. Il alla écouter à la porte de M. de Rênal, don’t il put distinguer le ronflement. Il en fut désolé. Il n’y avait donc plus de prétexte pour ne pas aller chez elle. Mais grand Dieu, qu’y ferait-il? Il n’avait aucun projet, et grand il en aurait eu, il se sentait tellement troublé qu’il eût été hors d’état de les suivre.
He had no shoes on. He went to listen at M. de Rênal’s door, through which he could distinguish snoring. He was distraught. So there was no further excuse for not going to her. But, good God! what was he going to do? He had no plan, and even if he had had one, he felt so upset that he was in no fit state to carry it out.
靴ははいていなかった。レーナル氏の部屋の戸口まで行って耳をすますと、はっきり鼾が聞こえる。彼はがっかりした。もう女の部屋に行かないですます口実はないわけだ。だが、弱った、どうしたものだろう。どうしようという計画は立ててない。立てたにしても、こんなにあわてていては、実行できなかったろう。
靴は履いていなかった。レナール夫人の寝室の扉で耳を澄ますと、寝息が聞き分けられた。がっかりだった。これでもう、寝室に入らずにすます口実がない。だがいったい、寝室で何をしようというのか?何のあてもなかったし、あてがあったところで、こんなにどぎまぎしているのではとても実行に移せなかっただろう。
靴は履いていなかった。レナール氏の寝室の扉で耳を澄ますと、いびきが聞こえた。がっかりだった。これでもう、寝室に入らずにすます口実がない。だがいったい、寝室で何をしようというのか?何のあてもなかったし、あてがあったところで、こんなにどぎまぎしているのではとても実行に移せなかっただろう。 Cの訳文を見ておかしなことに気づきます。レナール氏の寝室が、レナール夫人の寝室になっていますね。原文は、la porte de M. de Rênal (英訳はM. de Rênal’s door)ですが、このM. というのは、男性につけるMonsieur (ムッシュかまやつ でおなじみですね)の略号なのです。(ちなみに、女性につけるMadame の略号は、記号Mme. です) また、Cの訳文では、「いびき」が「寝息」になっています。これについて下川教授は、訳者がM. de Rênal を「レナール夫人」と間違えたうえ、夫人がいびきをかくのはまずいだろうと思って「いびき」を「寝息」としたのだろうとおっしゃっています。下川教授によれば、誤訳箇所を指摘した文書の一部を訳者が入手し、第3刷で書き直したのだろうとのことです。確かにDの訳文<第3刷>では、レナール氏がいびきをかいたことに訂正されていますね。
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[7.22.2008更新] |
| 赤と黒の誤訳をめぐって(2) |
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ここで採りあげるのは、「赤と黒」第1部第7章からです。ジュリアンが、お金のことについて、レーナル夫人に怒りに燃えた目で言い返した直後の場面です。 文章は、上から順に、@原文 APENGUIN CLASSICSシリーズの英訳 “The Red and the Black” B新潮文庫「赤と黒(上)」(小林正 訳) C光文社古典新訳文庫「赤と黒(上)」(野崎歓 訳)<第2刷 2008.2.8 発行> D光文社古典新訳文庫「赤と黒(上)」(野崎歓 訳)<第3刷2008.3.15 発行> です。 @ À la suite de cette sortie, madame de Rênal était restée pâle et tremblante, et la promenade se termina sans que ni l’un ni l’autre pût troiver un prétexte pour renouer le dialogue. L’amour pour madame de Rênal devint de plus en plus impossible dans le cœur orgueilleux de Julien; quant à elle, elle le respecta, elle l’admira, elle en avait été grondée.
At the end of this ourburst Mme de Rênal was pale and trembling, and the walk came to an end with neither one nor the other able to find a pretext for renewing the conversation. A love for Mme de Rênal became more and more impossible in Julien’s proud heart; as for her, she respected him, she admired him; she had been rebuked.
これほどまでにまくしたてられたので、レーナル夫人は血の気を失い、ふるえ出していた。どちらからも話のきっかけが見つからないうちに、散歩は済んでしまった。レーナル夫人に対して愛情をいだくことは、自尊心の強いジュリヤンには、ますます不可能になった。夫人のほうはジュリヤンに敬意をはらい、また感心もした。なにしろ、ジュリヤンから叱られたのだ。
そんな言葉を浴びせられて、レナール夫人は蒼くなってふるえていた。二人とも言葉の接ぎ穂を失ったまま、散歩は終わった。自尊心の強いジュリヤンにとって、レナール夫人を愛するのはいよいよ無理なことになった。夫人はジュリヤンを尊敬し、賛美していたが、叱りつけられてしまった。
そんな言葉を浴びせられて、レナール夫人は蒼くなってふるえていた。二人とも言葉の接ぎ穂を失ったまま、散歩は終わった。自尊心の強いジュリヤンにとって、レナール夫人を愛するのはいよいよ無理なことになった。夫人はジュリヤンに叱りつけられたせいでいっそう、彼を賛美し尊敬した。 問題の箇所は、原文のquant à elle, elle le respecta, elle
l’admira, elle en avait été grondée の部分です。動詞の時制をみると、respecta(尊敬した), admira(感心した) の二つは、いずれも「過去形」です。一方、avait été grondée(叱られた)の部分は「大過去」です。要するに、レーナル夫人は「尊敬した・感心した」よりも前に、「叱られていた」のです。 Cの訳文<野崎訳 第2刷>では、「尊敬した・感心した」後に「叱られた」ことになっていますね。これは基礎文法がわかっていない誤訳です。D<第3刷>では、正しく直されています。 前回の記事にも書きましたが、気鋭のフランス語学者である野崎氏が「大過去」を無視した訳をするはずがありません。やはりこの箇所も、最初に訳したのは野崎氏ではなく、フランス語の基礎学力に欠ける人間といわざるを得ません。 |
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[7.22.2008更新] |
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赤と黒の誤訳をめぐって(3) |
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「赤と黒」の誤訳問題に関するブログをいろいろ読んでみましたが、その中に「翻訳にはいろいろな訳し方があるのだからそんなに騒ぐ必要はない」という趣旨の意見がありました。しかし、光文社古典新訳文庫「赤と黒」に見られる誤訳の中には、いろいろな訳し方の一つと言えるものではなく、明らかな誤訳があります。(本ブログの前回、前々回の記事を参照)これについては弁護のしようがありません。明らかな誤訳であればこそ、訳者は、第3刷で訂正されたのでしょう。 それでは今日も、下川教授が指摘された誤訳箇所の中から一つとりあげて検討してみましょう。第2部第45章で大詰めに近いところ、死刑囚となったジュリヤンが親友のフーケと話すシーンです。
@ Julien s’acquitta avec décence de tout ce qu’on doit à
l’opiniom, en province. Grâce à M.l’abbé de Frilair, et malgré
le mauvais choix de son confesseur, Julien était dans son cachot le
protégé de la congrégation; avec plus d’esprit de conduite, il eût pu
s’échapper. A Julien now decorously discharged all duties that are due to
public opinion in the provinces.
Thanks to M.l’abbé de Frilair, and in
spite of this unfortunate choice of a confessor, in his cell Julien was
under the protection of the Congregation; if he had acted with a little
more enterrprise he might even have contrived to
escape. B ジュリヤンは、他方では世間の手前欠かすことができないいろいろな義理を型どおりすませた。告解師の選び方がまずかったにもかかわらず、フリレール神父のはからいで、地下牢の中でも修道会の庇護を受けられるようになった。もう少しうまく立ち回ったら、逃げ出せたかもしれない。 C ジュリヤンは田舎の世論の求める事項を何もかもきちんと片付けた。告解師の選び方はまずかったとはいえ、フリレール神父のおかげで、地下牢内に修道会の手は及ばずにすんだ。隙を見て行動に移るだけの姿勢があったなら、逃げ出せたかもしれない。 D ジュリヤンは田舎の世論の求める事項を何もかもきちんと片付けた。告解師の選び方はまずかったとはいえ、フリレール神父のおかげで、地下牢内に修道会の手は及ばずにすんだ。隙を見て行動に移るだけの姿勢があったなら、逃げ出せたかもしれない。 問題の箇所は、原文のJulien était dans son cachot le protégé de la congrégationです。ここを文字通り訳すと「ジュリヤンは、地下牢の中で、修道会が守っている人だった」つまり、「修道会によって守られていた」ということです。英訳では、in his cell Julien was under the protection of the Congregation 「地下牢の中で、ジュリヤンは、修道会の保護の下にあった」となっていますね。
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[7.22.2008更新] |
| 赤と黒の誤訳をめぐって(4) |
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今回は、ひとつのパラグラフがそっくり抜け落ちている箇所(第2部第5章)を検証します。 文章は、上から順に、@原文 APENGUIN CLASSICSシリーズの英訳 “The Red and the Black” B新潮文庫「赤と黒(下)」(小林正 訳) C光文社古典新訳文庫「赤と黒(下)」(野崎歓 訳)<第1刷 2007.12.20 発行> D光文社古典新訳文庫「赤と黒(下)」(野崎歓 訳)<第3刷2008.3.15 発行> です。 @ Peut-être était-il un peu plus claivoyant que les premiers jours, ou bien le premier enchantement produit par l’urbanité parisinene était passé. Dès qu’il cessait de travailler, il était en proie à un ennui mortel; c’est l’effet desséchant de la politesse admirable, mais si mesurée, si parfaitement graduée suivant les positions, qui distingue la haute société. Un cœur un peu sensible voit l’artifice. Sans doute, on peut reprocher à la province
un ton commun ou peu poli. Mais on se passionne un peu en vous répondant.
(以下略) A Perhaps he was a little more perceptive than he had been in the first few days or, rather, perhaps the first enchantment with Parisian urbanity had faded. From the moment he finished his work each day he became prey to a deadly boredom, such was the dessicating effect of that courtesy which characterizes high society ― admirable in itself, but so regulated, so closely graduated according to one’s standing. Any even slightly sensitive heart can perceive its artifice. Undoubtedly the provinces can be accused of
commonness of tone and lack of polish, but at least people there show some
warmth in their responses. (以下略) B おそらく、最初のころより、多少はものの見通しがつくようになっていたかもしれない。というよりは、洗練された都会趣味に対する陶酔から冷めたといえよう。 仕事がすむと、たちまちやりきれないほど退屈になる。上流社会特有の、まことにりっぱな、だがあまりにも節度のありすぎる、地位に従ってあまりに区別のはっきりしすぎている作法が、感覚をすりへらしてしまうからである。多少とも感じやすい心には、わざとらしさが鼻につく。 むろん、田舎の、卑俗で、洗練されない調子は、非難されもしようが、田舎では、返事をするにも、もうすこし熱がこもっている。(以下略) C おそらく彼にも、最初のころよりは多少、物事が見えてきたのだろうか。あるいは、最初パリという都会に感じた魅力が失せてしまったのかもしれない。 なるほど、田舎の粗野で下品な調子をとがめることはできるだろう。とはいえ、田舎では返事一つにも少しは熱がこもっている。(以下略) D おそらく彼にも、最初のころよりは多少、物事が見えてきたのだろうか。あるいは、最初パリという都会に感じた魅力が失せてしまったのかもしれない。 なるほど、田舎の粗野で下品な調子をとがめることはできるだろう。とはいえ、田舎では返事一つにも少しは熱がこもっている。(以下略) 見てお分かりのように、C<第1刷>の訳は、問題の箇所は、原文のDès で始まる段落を、そっくり訳し忘れています。これはD<第3刷>でも修正されていません。 このような誤りは、原文と対照チェックをすればすぐにわかるものです。今回の翻訳は、かなり短期間のうちに締め切りに追われながら行われたのではないでしょうか。時間をかけてチェックしたとは思われません。やっつけ仕事もいいところです。下川教授の指摘によると、訳し忘れの箇所は他にも数箇所あります。詳しくは、スタンダール研究会にアクセスし、下川教授の書評をご覧ください。 |
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[7.22.2008更新] |
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赤と黒の誤訳をめぐって(5) |
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文章は、上から順に、@原文 APENGUIN
CLASSICSシリーズの英訳 “The Red and the Black” B新潮文庫「赤と黒(下)」(小林正 訳)
C光文社古典新訳文庫「赤と黒(下)」(野崎歓 訳)<第1刷 2007.12.20
発行> D光文社古典新訳文庫「赤と黒(下)」(野崎歓 訳)<第3刷2008.3.15
発行> です。
J’aurais une signature de contrat comme celle de la cadette de mes cousines, où les grands-parens s’attendriraient si pourtant ils n’avaient pas d’humeur à cause d’une dernière condition introduite la veille dans le contrat par le notaire de la partie adverse. A I’d have a celebration at the signature of my marriage contract ― just like that of my young cousins ― where all the heads of the families would shed a tender tear if, that is, they had not been put out of sorts by a final condition introduced into the contract by the opposing lawyer the night before. B あたしも、一番年下の従妹と同じように、結婚契約書に署名することになるだろう。親戚の年寄り連中は、涙を流して喜んでくれるにちがいない。もっとも、前の日に、先方の公証人が契約書に付け加えた最後の条件で気を悪くしていないときの話だけれど。 C 一番年下の従妹と同じように、私も結婚誓約書に署名すれば、年取った親戚たちはさぞや喜んでくれるだろう。ただしこちらが前日になって、契約書に条項を書き加えたせいで、先方の公証人が腹を立てていなければの話だけれど。 D 一番年下の従妹と同じように、私も結婚誓約書に署名すれば、年取った親戚たちはさぞや喜んでくれるだろう。先方の公証人が前日になって、条項を書き加えたりしたせいで、年寄りの親戚が機嫌を損ねていなければの話だけれど。 原文を前から読んでみましょう。 J’aurais une signature
de contrat (私が誓約書に署名すれば)
dans le contrat
(誓約書に) par le notaire de la
partie adverse.(先方の公証人によって) 上の直読の4行目にあるilsは、英語のtheyにあたる代名詞で、この場合は、直前のles
grands-parens(年を取った親戚たち)を指しています。 ここでCの訳を見ると、「先方の公証人が腹を立てていなければの話だけれど」となっており、ilsが「公証人」を指しています。最後の行に出てくる「公証人」le
notaireは単数形ですから、ilsが指すことはあり得ません。つまり、この箇所は、「名詞の単数・複数や代名詞を理解していない人物」によって訳されたのです。フランス語の学識豊かな野崎氏が訳したとは到底考えられません。 可能性の一つとしてあり得るのは、この部分を訳した人間が、日本語の既訳を読み、しかも誤読して訳したのではないかということです。Bの新潮文庫訳を見ましょう。「先方の公証人が契約書に付け加えた最後の条件で気を悪くしていないときの話だけれど」と書いてありますが、この文の「先方の公証人が」は「付け加えた」につながりますね。煩雑を恐れずに書けば、「先方の公証人が契約書に付け加えた最後の条件で、(親戚の年寄りたちが)気を悪くしていないときの話だけれど」となります。
なお、この誤訳も、D<第3刷>では、正しく訂正されています。 人を使って訳させる場合、基礎学力のある人間にやらせないと、とんだ二度手間、三度手間になってしまいますね。 |
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[7.30.2008 更新] |
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赤と黒の誤訳をめぐって(6) |
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本屋で、新潮文庫の100冊のブックレットをもらい、見てみました。私が学生の頃に比べると、古典・海外作品が減り、現代文学がとても多くなっているのに驚きました。スタンダール「赤と黒」は1989年を最後に、100冊に入っていないようです。古典に代わって、唯川恵・重松清・湯本香樹実・石田衣良など、今の日本の作家がたくさん入っていますが、こんなの読む価値があるんでしょうか?学校が教師にメシを食わせるための場であるように、文学は今生きている作家に収入を与えるための手段になってしまったようです。 それはさておき、今日も下川教授が指摘された箇所の一つを紹介します。今晩必ずレーナル夫人の手を握ると決心したジュリヤンが、十時の鐘の音が鳴ると同時に計画を遂行しようとする場面です。(第1部第9章) 文章は、上から順に、@原文 APENGUIN CLASSICSシリーズの英訳 “The Red and the
Black” B新潮文庫「赤と黒(上)」(小林正 訳)C光文社古典新訳文庫「赤と黒(上)」(野崎歓 訳)<第2刷 2008.2.8
発行> D光文社古典新訳文庫「赤と黒(上)」(野崎歓 訳)<第3刷2008.3.15
発行> です。 @ Après un dernier moment d’attente et d’anxiété, pendant lequel l’excès de l’émotion mettait Julien comme hors de lui, dix heures sonnèrent à l’horloge qui était au-dessus de sa tête. Chaque coup de cette cloche fatale retentissait dans sa poitrine, et y causait comme un mouvement physique. Enfin, comme le dernier coup de dix heures retentissait encore, il étendit la main, et prit celle de madame de Rênal, qui la retira aussitôt. (以下略) A After a final period of tension and worrry, during which Julien became almost beside himself with his excess of feeling, ten struck on the clock above his head. Each stroke of this fatal clock echoed in his breast, and produced there an almost physical reaction. At last, as the final stroke of ten was still reverberating, he extended his hand and took that of Mme de Rênal ― who withdrew it immediately. (以下略) B ぎりぎりの期待と不安のひとときが過ぎる。その間、ジュリヤンは興奮のあまり我を忘れてしまった。いよいよ真上の大時計が十時を打ち始めた。運命を決する鐘の音が、鳴るたびに、彼の胸に響きわたり、いわばつきさすような衝動を起こした。 ついに、最後の鐘が十時を打ち終わろうとする前に、ジュリヤンはつと手を伸ばして、レーナル夫人の手を握った。夫人はすぐに手をひっこめた。(以下略) C 不安な気持ちで機会をうかがいながら、ジュリヤンが心の昂ぶりをおさえかねていたとき、頭上の大時計が十時を告げ始めた。運命の鐘の音がひとつひとつ胸に鳴り響き、体を突き動かした。彼は手を伸ばし、彼は手を伸ばし、レナール夫人の手を取ったが、夫人はすぐ手を引っこめた。ジュリヤンは自分が何をしているのかわからないまま、もう一度手をつかんだ。(以下略) D 不安な気持ちで機会をうかがいながら、ジュリヤンが心の昂ぶりをおさえかねていたとき、頭上の大時計が十時を告げ始めた。運命の鐘の音がひとつひとつ胸に鳴り響き、体を突き動かした。 とうとう、十時の最後の鐘がまだ鳴り響いているうちに、彼は手を伸ばし、レナール夫人の手を取ったが、夫人はすぐ手を引っこめた。ジュリヤンは自分が何をしているのかわからないまま、もう一度手をつかんだ。(以下略) C<第2刷>の訳は、原文のEnfin, comme
le dernier coup de dix heures retentissait
encoreを無視してそのまま後につなげた訳になっています。この「訳し忘れ」によって原文の素晴らしさが大きく損なわれてしまいました。10時の時計の鐘は10回鳴ります。そのいよいよ最後、10回目の鐘の音が終わるときになってジュリヤンはようやく夫人の手を握ることができたという緊迫感が失われてしまったのです。これでは、スタンダール先生に申し訳が立ちません。 D<第3刷>では、「とうとう、十時の最後の鐘がまだ鳴り響いているうちににおいては、」という部分が付け加えられました。やれやれ一安心。 |
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[8.18.2008 更新] |