この本は高校時代に読んだことがありましたが、覚えていたのは「無知の知」という言葉と、悪法に従って死刑を受け入れるソクラテスの態度でした。しかし、今回改めて読み返してみると、「ソクラテスはバカじゃないのか」と思うばかりでした。
「ソクラテスの弁明」は、アテネの人々の恨みを買ったソクラテスが訴えられて有罪判決を受け、死刑になるまでのいきさつを、弟子のプラトンが書いた本です。問題は、ソクラテスがなぜ恨みを買ったかという点です。岩波文庫「ソクラテスの弁明」には、次のように書いてあります。
そこでその人を充分研究したとき---その名前をいうことは無用であるが、アテナイ人諸君、私が吟味している際に次の如き経験をしたのは、政治家の一人であった---彼と対談中に私は、なるほどこの人は多くの人々には賢者と見え、なかんずく彼自身はそう思い込んでいるが、しかしその実彼はそうではないという印象を受けた。それから私は、彼は自ら賢者だと信じているけれどもその実そうではないということを、彼に説明しようと努めた。その結果私は彼ならびに同席者の多数から憎悪を受けることとなったのである。しかし私自身はそこを立去りながら独りこう考えた。とにかく俺の方があの男よりは賢明である、なぜといえば、私達は二人とも、善についても美についても何も知っていまいと思われるが、しかし、彼は何も知らないのに、何かを知っていると信じており、これに反して私は、何も知りはしないが、知っているとも思っていないからである。されば私は、少くとも自ら知らぬことを知っているとは思っていないかぎりにおいて、あの男よりも智慧の上で少しばかり優っているらしく思われる。それから私は、前者以上に賢明の称あるもう一人の人をたずねたが、まったく同様の結論を得た。かくて私はこの人からも他の多くの人達からも憎悪せらるるに至ったのである。
(岩波文庫「ソクラテスの弁明」プラトン著 久保勉訳 24〜25ページより引用)
これでは恨みを買って当然ですね。どこの世界に自分が無知であることを自覚したがる人間がいるでしょうか。予備校等で、質問に来た生徒の知らないところをたくさん指摘すると、たいへん嫌がられます。人から「お前はバカだ。しかもバカであるという自覚が足りない」と言われて、「なるほど、確かに私はバカであります。私の無知を教えてくださってありがとうございます」と感謝する人はいませんね。
「ソクラテスの弁明」を読んでしばらくして、アメリカの自己啓発本の古典ともいうべき、How to Win Friends & Influence People (Dake Carnegie 著)を読みました。そして、カーネギーは、ソクラテスより何倍も偉いと思いました。上記の本よりいくつか引用します。
Criticism is futile because it puts a person on the defensive and usually makes him strive to justify himself.
批判は無駄である。人は批判されると自分を守ろうとして、たいてい自己正当化に走るからである。
(How to Win Friends & Influence People 5ページ)
You can't win an argument. You can't because if you lose it, you lose it; and if you win it, you lose it. Why? Well, suppose you triumph over the other man and shoot his argument full of holes and prove that he is non compos mentis. Then what? You will feel fine. But what about him? You have made him feel inferior. You have hurt his pride. He will resent your triumph. And--
A man convinced against his will
Is of the same opinion
still.
(How to Win Friends & Influence People 117ページ)
議論に勝つことはできない。議論に負ければ、負けだし、議論に勝ったとしても、負けだからだ。相手を議論で負かし、相手の主張が穴だらけで相手が心神喪失状態にあると証明したとして、それで何になるのか?勝った方は気分がいい。しかし相手はどうか?劣等感を抱き、プライドが傷つけられるのだ。勝者に対して強い怒りを覚えるに違いない。
さらに、
自分の意思に反して説得させられた者は、
自分の元の意見を依然として持っている。
The only way to get the best of an argument is to avoid it.
(How to Win Friends & Influence People 122ページ)
議論に勝つ唯一の方法は、議論を避けることだ。
人間は、機械や数式ではありません。感情の塊です。論理的に正しいかどうかより、相手を気持ちよくさせてあげることが大切なのです。ソクラテス先生やプラトン先生には悪いですが、「ソクラテスの弁明」は、融通の利かない石頭男の失敗談として読んでみるといいと思います。