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 著者雑談


 英語のこと、社会のことなど、教育のことなど、日頃思いついたことを書いています。

 

 学会と科学

 
このところ梅雨の大雨が続いていますが、大雨といえば思い出すことがあります。

1982年、長崎地方で集中豪雨があり莫大な被害が出たときのことです。知り合いのあるオッサンが次のようなことを言いました。「長崎は邪教の土地だから、こんなことになる」このオッサンは、創価学会員で、池田先生大好き人間でした。長崎はキリスト教に縁が深い土地だから、被害が出るのもしかたないと考えたのでしょう。自分たちの信じるもののみが正しく、他はどうなってもいいという独善的な排他意識丸出しで、当時高校生だった私は、「こんなこと言うから創価学会員は嫌われるんだな」と思ったものでした。

創価学会の話だけするのは不公平なので、別の話もしましょう。ある塾の講師をしていたとき、生徒さんの母親で大川先生大好き人間がいました。いわく、日本の教育について正しい答を出してくださるのは大川先生だけなのだそうで、塾に来られたときには、幸福の科学の雑誌を置いていかれました。(苦笑) このお母さんについて、たいへん印象に残っているのは、目がキラキラっとしていたことです。世の中の邪悪なるものからは一切無縁です〜というように、キラキラと瞳を輝かせているのです。その、地下鉄車内で、妙に目がキラキラしている二人連れを見かけました。私は「もしや〜?」と思ってみていたのですが、案の定、二人はカバンから大川先生の御著書を出して語りはじめました。

このような人間離れした目のキラキラは、おそらく「自分でものを考えなくていい」という開放感からもたらされているように思われます。自分の人生をどう生きるかについては、大川先生が全部答えを出してくださるのですから、こんなにありがたいことはありません。大川先生の本を読まずに人生に失敗した人間を見たら、「なんでこの御本を読まなかったのかな。アホな奴やな」と思うことでしょうね。

私は自分の人生上の問題は全て自分で決めるという立場ですので、ここで紹介した学会のオジサンや、科学のお母さんのような方を見ると、「自分の人生を人に簡単に明け渡していいんかいな?」と思うのですが、彼らから見ると私のような人間はわからずやの大ばか者ということになりましょう。

[6.23.2008更新]









 


















 


 感情移入

 
先月、ふとしたことから、川端康成「山の音」と、Seidensticker氏による英訳 The Sound of the Mountain を読みました。もともと、英訳を中心に読むつもりで、まず英訳をある程度読み、その後に原作を読んでいきました。ところが、途中から、川端文学の世界にどっぷりとハマってしまい、原作を先に最後まで読んでしまいました。

その翌日、私は家人から、とてもひどいことを言われたと抗議され、びっくりしました。全く覚えがなかったからです。どうやら私は、その日の朝、無意識のうちに、変な発言をしたらしいのです。改めて考えてみると、私は、「山の音」の主人公である61歳の男に、脳を占拠されてしまったようでした。この男、なんとも言えぬ暗さを持った人間なのです。私の発言も、この男の発言と考えれば納得できるものです。

私は数年前から、小説を読むときに、己を無にして読むようになりました。読みながら、自分の感想のようなものを心に抱くことは全くありません。ただただ文字を追い、小説の世界をそのまま頭に写し取るような読み方をしています。文豪の書いた偉大な小説に、私のような人間が感想を持つという、そんなおこがましいことなどできないからです。その結果、小説を読み終えた直後の私は、すっかり小説の主人公になっているのです。

中学、高校時代、「小説を読むときは、登場人物になりきって読みなさい」と教師に言われた人は少なくないと思います。しかし、中学生、高校生で、登場人物になりきれる人は少ないと思われます。人生の経験が少ないためでもありますが、若いうちは、「オレがオレが」という自我が強すぎて、己を無にすることが難しいのもその大きな理由でしょう。感情移入とは、自分の当て推量で小説を読むことではなく、自分を無にして、小説の世界をそのまま自分の中に引き入れることなのです。

[6.23.2008更新]



 体調不良について


ある予備校で、9月以降、欠席者の数が急に増えたことがあります。この予備校は寮併設なので、通学がたいへんとかいう理由ではありません。春以降のがんばりが続かなくなって易きに流れてしまったのです。若い人は精神力、粘りがありませんね。そんなときに、授業プリントの裏に書いたエッセーが以下の「体調不良について」です。

体調不良について

夏以降、授業の欠席が増えています。その理由の多くは体調不良ですが、元来、10代後半〜20代前半は、一生のうちで最もエネルギーに満ちた時期なので、しっかりと健康管理を行えば、それほど具合が悪くなることはないのです。健康管理・精神力の鍛錬が必要だと思われます。

1)精神と身体の関係     
人間の精神と身体は密接に結びついています。身体の具合が悪いと考え方が暗くなったりしますし、また、精神力によって体調がよくなったり悪くなったりもします。小学生低学年の児童で、学校にどうしても行きたくない日の朝に、突然腹が痛くなる子がいます。これは、「どうしても嫌だ」という強い気持ちが、体に影響を及ぼす典型的な例です。体が症状を出すことによって、この子を救おうとするのです。

実は、予備校生の中にも、この小学生と同じパターンの人がいます。受験が近づくにつれ、性格が暗くなり、頭痛や腹痛を訴えることが多くなります。この人は、心の中で、受験が怖くてしかたないと思い、本当は受験などしたくないのです。しかし、それをおおっぴらに言うことができないので、体が症状を出して、受験を回避させようとしているのです。

こうした症状をなくすには、精神力を鍛え、「おい受験!早く来い!俺様が、メタメタにしてやるぞ!」という強い闘争本能をかきたてることが大切です。

精神力を鍛えるための方法としては、@自分の極限まで仕事・勉強をやり、それを乗り越える経験を積む A敵を作り、「あの野郎には絶対負けないからな。覚えてろよ!」という気持ちを利用する などが有効です。

2)私の健康管理: 私は、健康を維持するために、以下のようなことをやっています。

@ 食べ物・飲み物に気をつける
★マクドナルドのハンバーガーのようなものは絶対に食べない。もしどうしても食べなければならない場合は、20回〜30回かんで、唾液の力によって解毒するようにする。
★おかずは、肉魚2:野菜8を理想とする。もしどうしても、肉が多く野菜が少ない料理を食べなければならない場合は、食事の後、野菜ジュースを買って飲む。それもできそうにないと思われる場合は、もったいないが、肉を残す。
★精製物(白砂糖・塩化ナトリウムなど)はとらない。理由は、自然界に存在しないものだからである。黒砂糖や岩塩などをとるようにする。
★アルコール類は、食欲増進・血行促進のための薬と考えられる量にとどめ、原則として飲まない。
もしどうしても大量の酒類を飲まなければならない場合は、良質のたんぱく質を含む肴を食べるとともに、直前に漢方系の胃腸薬を飲んでおく。さらに、肝臓に手を当てて「これからアルコールの解毒をお願いします。ご苦労をおかけしますが、よろしくお願いします」とお願いする。
★たばこは、毒ガスであるから、絶対に吸わない。吸っている人の近くには近づかない。
★便の観察・オナラの臭いの研究を常に行なう。異常が見られた場合は、過去48時間に食べたものの何が悪かったかを追求する。
★汗をかくべきときは、大量にかくようにする。スイカの果汁・スポーツドリンク(カラダダカラ)などを取ると、汗がうまく出やすい。また、汗が乾きつつあるときの臭い・べたつき度から、どれくらい老廃物が出ているかを判断する。

A 風邪を事前に防ぐ
★風邪がはやっているときは、常にマスクを携帯し、人の多いところではマスクをする。のど粘膜の乾燥を防ぐことが何より大切である。
★電車内で、風邪を引いている人の近くには近づかない。もしどうしても近づかざるを得ない場合は、必ずマスクをする。
★疲労があって風邪をひきやすいときは、寝るときにマスクをして寝る。また、風邪の引き始めに冷えが出やすい箇所に、あらかじめミニカイロを貼ったり、タオルを当てたりして保温する。
★風邪を引いたり、胃腸が悪くなったりしたときには、症状の出方を手帳に記録する(寒気、だるさ、痛みなどが何時間前に発生したのか?)過去48時間における、睡眠・疲労・食事などを思い出し、どこに原因があるのかを追求する。

B 骨格のゆがみを防ぐ
★荷物は、左右の手で交代に持つようにし、片方の手で長い間持ち続けないようにする。骨格のゆがみを防ぐためである。もしどうしても体の片方だけを使い続けた場合は、ねじり運動を行なってゆがみをなくす。
★足を組むときは、片方の足だけ組んだりしない。
★靴の裏の減り具合を観察して、歩くときの左右のバランスをみる。

C ストレスをなくす
★人生を破滅に追い込みかねない悪いもの(ギャンブル・火遊び等)には手を出さず、仕事と健全な趣味中心でまじめに暮らすことによって、ストレス発生源を根本からなくす。人生が破綻した例を多く知ることによって、これを反面教師とする。
★悪い人間、トラブルメイカーとは、一切付き合わないようにする。また、そういう人間が近づいてこないようなオーラを常に発散する。
★「いつ死んでもいい。命は全く惜しくない」という考えに到達することにより、「死への恐怖」という最大のストレスを克服する。
★戦時中のモノのない時代をすべての原点と考えることにより、「もっと贅沢がしたい」「もっと幸せになりたい」という願望をなくす。毎日ごはんが食べられればそれだけで涙が出るほど幸福なのである。

[2.14.2008更新] 


 大人が若者を叱らないわけ


近頃の大人は、教師も含め、若者を叱りません。これはよいことなのでしょうか?
「人間関係には優しさが大切で、大人が上から目線でガミガミ言うのはよくない」と言われるとなるほどと思ってしまいます。しかし、私の観察したところ、叱らない大人には、「本当に優しい心の持ち主で叱らない大人」 と「利己的な理由から叱らない大人」の二種類があるようです。前者はよいでしょうが、後者は問題ですね。

では、利己的な理由から叱らない大人とはどんな人でしょう?まず、躾・教育にエネルギーをさきたくない親があげられます。子供が悪いことをしたときなど、本来はビシっと叱るべきですが、ナアナアで済ましてしまうのです。叱るにはエネルギーが要ります。誰も好き好んで叱るわけではありません。しかし、子供の将来を思ってビシっと叱るのです。このまま子供が社会に出たら世の中の迷惑になると思うからこそ叱れるのです。
しかし、子供の将来より自分の日々の怠惰な生活が大事な利己的な親は、子供を野放しにします。

余談ですが、小さい頃に大病を患いずっと入院していた子がその後元気になり、中学生くらいになると、これが実にわがままで人の話をきちんと聞けない子が多いのです。病気の子供が不憫でついつい甘やかした結果です。子供が病気であっても、躾はきちんとしなければなりません。

次に、近年顕著になってきたのが、生徒を叱らない塾・予備校の職員や講師です。少子化の進行とともに、塾や予備校の生徒獲得競争は年々激化し、生徒に至れりつくせりの手厚いサービスを施すことが生き残りの鍵と考えられるようになりました。近頃の塾や予備校のチラシを見てください。「個別指導」「少人数制指導」という言葉が踊っています。本当は、大教室に大勢の生徒を詰め込んだ一斉授業のほうが、コストが少なくてすみますから儲かるのですが、今の時代、大教室を埋めるだけの生徒がいません。そこで、猫も杓子も、個別指導・少人数指導を売り物にして、そのぶん、授業料を少し多めにいただいているわけです。
こんな状況ですから、「生徒を叱って塾・予備校を辞められたら困る」という全く経営的な理由で、職員・講師は生徒を叱らなくなっています。

私は、数年前まで生徒をよく叱り飛ばしていましたが、何しろ、私以外にそんな人がいないので、叱られた生徒は甘やかしてくれる講師のところにすぐさま逃げ込み、教育効果も上がらないという始末...それで今は生徒を叱ることはしません。経営者が、経営的な理由のために、叱るのを嫌がるのですから。どんどん叱るのは、自分で塾や教室を開いてからにします。

このコラムを見ている中学生・高校生の方に言いたいのは、世の大人の多くが利己的な理由のために、皆さんを叱らないということです。彼らは皆さんのことを真剣に考えているのではなく、自分の塾や予備校の儲けが減るのが嫌だから、ニコニコ善人を装っているのです。ですから、皆さんはそのような大人には見切りをつけ、一日も早く精神的に成熟し、自分で自分を教育できる立派な人間になっていただきたいと思います。

[2.8.2008更新] 

 インプットとアウトプット

 
1月はホームページの更新をほとんどしませんでした。昨年12月にはいろいろ記事を書いていたのですが、記事ばかり書いていると、私の頭はすぐに枯渇してしまうのです。そこで、1月はフランス語の勉強をやりました。単語や例文を覚えていくだけの勉強です。これにより、私の脳に栄養がゆきわたり、書く意欲がわいてきました。そして、今回、大幅に内容を増やしてサイトを改造しました。やはり、アウトプットばかりしているといけませんね。インプット8割、アウトプット2割くらいがちょうどよいのではないでしょうか。

[2.5.2008更新]












 オジサンとオバサン

 
世の中で最も醜悪なもの、それは恥を知らないオジサンやオバサンであります。現在若い世代に属する人は、これからの人生を有意義に暮らし、決して醜悪なオジサン、オバサンにならないようにしていただきたいと思います。ところで、そもそも、オジサン、オバサンとは何でしょうか?簡単に定義してみましょう。

オジサン・オバサン=人からどのように見られているかを気にせず、人の詮索ばかりする人間

いかがですか?皆さんの周りにもこういう人間がけっこういるでしょう。人がみな赤ちゃんで生まれてくることを考えると、人生のある時点でオジサン、オバサンになったわけですが、それはいつでしょう? 私見によれば、男は、30〜40代で他のオジサンと接することでオジサンになり、女は、オバサンの母親と接することで、小学校高学年ですでにオバサンになるようです。考え方は完璧にオバサンだけど顔は小学生や中学生という女の子、皆さんも見たことがあると思います。

男がオジサンにならないためには、オジサン同士の飲み会などには決して行かず、家で勉強したりして過ごすのが一番です。また、女がオバサンにならないための方法はありません。オバサン気質の強い母親の元に生まれてきた時点ですでにオバサン化が避けられないからです。

[1.10.2008更新]

 

 英会話は独学で

 
日本経済新聞2007年12月7日夕刊に、「英会話は独学で」という記事がありました。社会人の間で、英会話学校に行くよりも、自分で英語を勉強する人が増えており、その原因として、「教育訓練給付金の給付額が最大20万円から最大10万円に下がった」「NOVAの破綻による英会話学校離れ」があるとの指摘です。これはいい方向に向かっているなと思います。私は以前より、「英会話学校に行かずに自分で勉強したほうが伸びますよ!」と訴えてきたからです。

私は予備校の授業などで、「みなさ〜ん、英語がなかなか上達しないのはどうしてか、わかりますか〜?それは、学校で先生に習うからですよ〜。学校と言うのは先生に給料を払うためにあるのです〜。」と、よく話しています。学校に通って上達した人は、それは学校が教えたためではなく、自分で勉強したからなのです。本来、自分ひとりでできるものを、他者の力を借りなければできないと思わせるのは、資本主義社会における欺瞞の最たるものでしょう。

[12.16.2007更新]

 ホームページ更新再開について

 
このホームページ(English Self Taught)は、2005年5月に開設し、2006年2月までは頻繁に更新をしていましたが、それからほったらかしにしておりました。これには、パソコンの故障、フランス語にハマる...など、いろいろな理由があるのですが、大衆に受けのいいものを書こうという意識が強すぎたために、飽きが来てしまったようです。

これからは、自分が書きたいと思うことを優先し、受けのいいものよりも、役に立つものを書いていこうと思います。

[12.9.2007更新]

 資本主義社会の原則

  
資本主義社会において最も大切なことは「金儲け」です。「資本」は、ガン細胞のように、不断に増殖を図ろうとします。この当たり前すぎるくらい当たり前のことを常に頭に置いておくだけで、悪い塾や予備校などから身を守ることができます。

A塾では、見てパッっとわかる公式ばかりを教え、定期テストですぐ点が取れますよ!と熱心に宣伝していました。しかし、この見てパッ!っといういうのが実にくせもので、こうした授業を受けている間に、自分でものを考える習慣が失われ、試験の前になると「せんせー、プリントちょうだーい!」と、塾に全面的に依存するようになるのです。こういう生徒は、塾にベッタリ頼りきって塾を辞めなくなります。また、B塾では、他塾から来た生徒にやたらと不安をあおるような面談をした上で「うちに来たら大丈夫」と繰り返し信用させます。テキストやカリキュラムは穴だらけでも、ベテラン講師陣が作った精選教材と自慢します。

世の中に、「無償の親切」は数少ないと思うべきです。他人の金儲けの道具にされてはたまりません。生徒も親も、自分の身は自分で守らなければいけません。

私が資本主義社会の原則に気づいたのは、大学2年のときでした。私は経済学部で、有賀という人の授業を受けていたのですが、これが何ともいいようがないほど役に立たない授業だったのです。いわゆるマルクス経済学で、自著を教科書に使っていたのですが、その本たるや「マルクスは...と書いている」「これについてマルクス・エンゲルスの〜では...」という調子で、ほとんど引用ばかり、自分の理論は何もないという代物でした。その授業中、私は「この授業はいったい何の役に立つのか?誰のためのものなのか?」と考え、すぐに出た結論は、この授業は有賀氏本人の給料と、有賀氏の書いた本を売りつけるためにのみ存在するという答でした。

塾・予備校を含めて、いわゆる学校というのは、一般に生徒のためにあるとされています。しかし、本当は、教員、職員に給料を払うため、あるいはオーナーが私腹を肥やすために存在しているのです。ですから、生徒は学校に過度の期待をせず、「自分の学力を高められるのは自分しかいない」という気持ちで勉強しなければなりません。学校に依存するのではなく、学校は利用するところなのです。

[12.9.2007更新]

 

 アタック25予選会

 
 今年面白かったことの一つに、「アタック25予選会」合格があります。9月のある日曜日、たまたま家でパネルクイズアタック25を見ていたら、「福岡・佐賀地区出場者募集」というテロッ
プが流れていました。それでインターネットで申し込みをしました。(私は福岡在住です)

10月12日、「予選会のお知らせ」というハガキが来ました。10月21日(日)に、福岡市の九州朝日放送にて予選会を行うという内容でした。本格的な勉強をするには期間が短いですが、16日にクイズ本を2冊買って読みました。また、前日の20日になって、アタック25の過去問の一部を収録したサイトを見つけたので、そこの問題を印刷し(80ページくらい)、当日の朝は早く起きて、過去問を勉強しました。

予選会は11:30開始です。会場に30分くらい早く着いた私は、ロビーでずっと過去問プリントを勉強していました。開始時間10分前になり、会場の会議室に受験者が入りました。だいたい60人くらいの人がいました。1日で、3〜4回の予選会を行ったようですから、全受験者は180〜240人くらいでしょう。

試験の前に、調査票の記入をしました。趣味や志望動機、予選会の受験履歴等が聞かれます。「ここで面白いことを書いておくと、ポイント高いですよ」と言われました。

調査票を回収した後、いよいよ筆記試験です。B4の大きさの紙に、30題の問題があり、これを8分で答えます。受験者全員には「アタック25」ロゴ入りシャープペンシルが配られていましたが、私は持参の鉛筆3本を使うことにしました。

試験が終わり、回収後、15分ほど休憩時間があり、この間に、採点が行われたようです。そして、筆記試験の上位7名が呼ばれます。受験番号14番の私は、2番目に呼ばれました。この7名だけが会場に残り、面接を受けます。

7名は、横一列に並んで座り、前に番組担当の方が2人いて質問をされます。私は「志望動機」を聞かれましたので、「私は予備校の英語講師をしているのですが、授業中にためになることを言っても生徒さんのほとんどは聞いてくれないようです。そこで、アタック25に出ていい成績を挙げれば、言うことを聞いてくれるのではな
いかと思いまして...」と言ったところ、かなりウケました。

面接の結果、合格者には2週間以内にハガキを出しますということだったのですが、5日後の26日には無事、合格ハガキが来ました。そこには、2007年11月から1年間の出場資格を与えることが書いてありました。ほっと一安心です。

ただし、合格者が全てテレビに出演できるわけではありません。成績優秀者から選考されていくので、どんどん後回しになって、結局出演できない人もいるそうです。ということで、放送局からの電話が早くこないかなと待ち遠しく思っています。

 [12.9.2007更新]

 

 言葉は人間の本性を表す
 
  先日発表された紀子さまご懐妊のニュースはたいへんうれしいものでした。 (本稿は2006年2月に書いたものです) お生まれになるお子様は、間違いなく男子のお子様であると私はここで断言いたします。昨年来の皇室典範論議が今回のご懐妊の背景にあるわけですから、男子のお子様が生まれるべく、現代医学の技術が用いられたと考えるからです。先端技術というのは、こういうときに活用すればこその先端技術であります。

 ところで、ご懐妊のニュースを聞いた社民党の福島党首は、「紀子さまのご妊娠は...」という言い方をしていました。彼女は「ご懐妊」という言葉を使うのが嫌なのです。皇族の方々に敬意を示す特別の言葉を用いることが日本語の正しい伝統なのですが、彼女は「妊娠」という普通の言葉を使うことによって、皇族の方々に対する敬意を打ち消そうとしているわけです。これは、常日頃から「天皇家なんてないほうがいい」と心の中で思っているからこその言葉遣いであるといえます。

 一般に、旧社会党や共産党系の人は、日本人であるにも関わらず、天皇制をなくしたいと考えたり、そこまでいかなくても、皇族の方々にあまり敬意を示そうとしません。これは、「人間は皆平等なのに、どうして天皇家というものがあるのか。おかしいじゃないか」という建前によるものです。しかし、「金閣と天皇陛下」で述べたように、そもそも、「人間がみな平等である」という考え自体がフィクションなのですから彼らの考えは全く馬鹿げていると私は考えます。

 [2.18.2006更新]




 金閣と天皇陛下
 
 
  たいへん恥ずかしいことですが、私は中学生・高校生のとき、天皇不要論者でした。皇族がいるのは税金の無駄遣いであり、即刻廃止すべきものだと考えていたのです。この背景には、思春期にありがちな「とにかく古いものは何でも反対」という態度に加え、社会党・共産党が好きだったことがあげられます。(笑)天皇制反対といえば共産党ですから。では、どうして社会党・共産党が好きだったのかといえば、これはもう新聞の読みすぎが原因です。(笑)中学・高校時代の私は、とにかく新聞を隅々まで読んでいました。ご丁寧に社説まで読んでいました。当時の新聞は、いわゆる革新政党びいきで、新聞の読みすぎによって新聞社の主張を鵜呑みにした当時の私は、自民党とは数を頼りに横暴を働く大悪党で、社会党と共産党が正義の味方だと思っていました。(笑)...何をバカなことを...と思われるかもしれませんが、新聞に書いてあることを全部信じるとこうなるわけです。

   そんな私が20代半ばで転職した学習塾で社会を教えるようになり、歴史の勉強もかねて奈良に行き、法隆寺を訪れたときのこと、私は次のように思ったのです。...この法隆寺は大切に守っていかなければならない。それは、7世紀以来ずっと残ってきたものだからだ。法隆寺を守るために国がお金を使うのは納得できる。では、日本の天皇家はどうか?法隆寺建立以前から続いているものではないのか?とすれば、法隆寺と同じく貴重なものである。法隆寺に国のお金を使うのが正しいのならば、皇族にお金を使うことも正しい...それ以来、「皇族に税金を使うのはおかしい」という人がいたら、私は「では、法隆寺を守るために税金を使うのは変ですか?」と聞くことにしています。「人間は皆同じなのに、どうして皇族だけ別格なんですか?」と言う人もいますが、人間が皆同じというのは建前・幻想に過ぎないことはあまりにも当たり前のことですから、いい年をしてこんなことを言う人にはただただ苦笑するのみです。私は中学生に社会を教えるときは、「人間が平等だというのは、そういうふうに信じ込ませておけば、国民が一揆を起こしにくくなるからであって、本当に平等ということは全くありませんよ。」とちゃんと教えています。(笑)

 天皇陛下がなぜ偉いのかといえば、天皇家がずっと昔から続いてきているからです。それ以外に理由はありません。戦後、鹿苑寺金閣が狂人の手によって燃やされてしまいました。その後いかに素晴らしく再建がなされようとも、もはやそれは、金閣ではありえないのです。昔から長く維持されてきたものは、一度失ってしまったら取り返しがつかないのです。その意味で、現在、女系天皇でもいいじゃないかという浅薄な議論が起こっていることには大いなる危惧を覚えます。女系天皇を認めてしまったら、その後の天皇家は、燃やされてしまった金閣と同じことになります。

 [1.28.2006更新]




 太宰府天満宮の絵馬
 
  私の住んでいるところは、学問の神様として有名な太宰府天満宮までバイクで30分くらいのところです。高校3年生のとき、担任の先生が太宰府天満宮で大きな絵馬を買い、教室に持ってこられました。そしてその絵馬に、合格祈願の言葉を書くように言われました。せっかくの先生のご好意なのですが、私は言葉を書くのを断りました。「この絵馬に書けば合格可能性が高まるという科学的根拠はないじゃないですか。そういう無駄なことをしても意味がありません」...こういう趣旨のことを申し上げました。先生は大人ですから「ああ、そうか」で終わりましたが、おそらく今の私でも同じことをするでしょう。

 こういう場合、「せっかく先生がわざわざ買ってくださったのに」と考えるのがふつうです。しかし、受験生は、持てる自分の力を大いに結集して本番に臨まなくてはなりません。そんな時に、太宰府天満宮に祈るという行為は、たとえわずかでも他者に頼る行為に他ならず、そうした他力本願の行為はよくないと考えました。また、この絵馬は、先生がご自分の判断で買ってきたものであり、私が買ってきてくれと頼んだものではありません。ですから、書く、書かないは私の自由であるはずです。

 以来、20年以上の時がたちましたが、「他力本願を嫌う」「〜さんがせっかくしてくれたのだから...という考え方をしない」という点は、全く変わっていないなあと痛感します。

 [1.14.2006更新]





 小学校で行うべき最良の英語教育
 
  人間は年をとるにつれて柔軟性を失う傾向があります。それまでに自分が時間を費やして得たものに固執し、新しいものを取り入れるゆとりがなくなるからです。私は小学生から大人まで、様々な年齢層の人に英語の授業をしてきましたが、その観察から言えば、新しいものに興味を示してそれを吸収する能力は、個人差は大いにありますが、小学生がいちばん高く、中学2年生頃から下がりだし、高校2年生ではほとんど新しいものを取り入れようとしなくなります。

 小学生に英語教育をすべきかどうかについては、近年多くの議論がなされていますが、単なる挨拶程度ならしないほうがましです。ぜひともやるのなら、中学・高校で勉強する英単語を正確な発音とともに3000語くらい暗記させればよいのです。先に述べたように、小学生は吸収能力が非常に高いですので、3000語を覚えるのは十分に可能です。特に小学生が素晴らしいのは、屁理屈を言わないことです。高校生あたりに単語の暗記をさせますと、やれ「こんなことをして何になるのか」とか、「最近忙しくて覚える暇がない」だとか、自分の能力を棚にあげてできない口実ばかりを並べます。勉強に対する素直さが失われているのです。その点、小学生は素直にカリカリ勉強します。

 現在、大学受験生が苦労しているのは、何よりも単語力不足です。小学校の段階で3000語覚えてしまえば、中学・高校では文法をしっかり教えることもでき、受験生の苦労も半減するでしょう。

 [1.10.2006更新]



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 暗記勉強とチェス
 
   私は中学校の頃、将棋に熱中し、往復はがきに問題の答を書いて点数がたまると段位がもらえるという、将棋雑誌の認定コーナーで、アマチュア3段までいきました。(日本将棋連盟認定ですよ)将棋のいいところは「悪い手を指したほうが負ける」という点です。悪い奴が栄えるこの世の中と違って実にさわやかなところが好きでした。(笑)

 2003年の夏、イギリスのあるサイトから、チェスの無料ソフトをダウンロードし、チェスをするようになりました。しかし、このソフトはすごく強くて、一度も勝てませんでした。それで、しばらくしてほったらかし状態になりました。

 2004年の2月〜3月、ふとしたことから、ドイツ語の勉強をしました。ノートに基本例文と単語を書いて、ただただ覚えるという実に地味な勉強です。ノートの左側に独文、その右にそれを英訳したものを書き、英語を見てドイツ語を言えるように練習しました。そして、3月の終わり頃のある日、半年ぶりくらいにチェスのソフトと対戦したら...なんと勝てたのです。それからは、ときどき勝てるようになりました。チェスの勉強をしていない私がどうして勝てたのかといえば、これはもう、ドイツ語の暗記をしたこと以外に考えられません。

 おそらく、ドイツ語の勉強によって脳が活性化し、脳の力が総合的に向上したのでしょう。この件以来、私はことあるごとに「暗記をすると頭がよくなりますよ!!」と自信を持って言えるようになりました。世間には、いまだに「暗記ばっかりしてると創造性が養われない」とか「無味乾燥な暗記ばかりやるのではなく、もっと頭を使った勉強をすべきだ」という人がいますが、暗記を悪者扱いする理由がわかりません。暗記は、脳の性能をよくしてくれるからです。語学を学ぶ人は、大いなる自信を持って、暗記勉強に邁進していただきたいものです。

 [12.18.2005更新]



 リスニングと文法
 
 今の時期(12月)、街はクリスマスの雰囲気に満ちていますね。最近は、店だけでなく、ふつうの民家でも、庭にイルミネーションを飾っているところがあります。聞いたところによると、イルミネーションが電気を食うため、ブレーカーが落ちないように、暗く寒い部屋で過ごしている家もあるそうです。(笑)

 それはさておき、街のあちこちから、ウィウィシュユアメリクリスマス ウィウィシュユアメリクリスマス...の歌が聞こえてきます。この歌について、ある方から質問をいただきました。「知り合いの英語の先生が、この歌詞はWe wish your Merry Christmas. と言ってるんですが、本当ですか?」

 この質問に対して私は次のように答えました。「wish を「人に〜を祈る」の意味で使う場合は、SVOO つまり、[ wish 人 〜 ] の文型で使いますから、We wish you a Merry Christmas.
が正しい英語です。you a の部分は、yourと同じに聞こえますから、その先生は勘違いしたのでしょう」
 
 your も you a も耳で聞いたときは同じですから、これを区別できるかどうかは文法力です。「そういえば、「幸運を祈ります」という例文で、I wish you good luck. というのがあったなあ」と瞬時に思い出せばよいのです。文法・語法の知識のない人が、ただ漫然と聞き流してもリスニング力は思ったほど伸びません。

 [12.17.2005更新]



 比較優位説
 
 予備校の生徒さんの中には、英語の講師は英文科や英語学科出身であると思い込んでいる人がいて、私が大学で経済学専攻だったと言うと、「じゃあ、なんで、英語の先生になったの?」と驚かれることがあります。確かに経済学と英語は関係がなさそうですが、経済学の勉強をしたことは、その後に英語を再学習した際に大いに役立ったと思います。経済学は、英米人の思考形式の典型であり、経済学を通じて、英語の考え方を学ぶことができたからです。
 
 今日は、貿易がなぜ有益かを示す「比較優位説」について、簡単な例を使って説明します。

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<説明>
A国とB国の2つの国があるとする。各国は、車と米を作っており、車1台、米1トンを作るのにかかる労働者の人数は、下の表の通りとする。

表1.
A国     
車 4人  米 8人  

B国
車 10人 米 10人

単純化のために、A国の人口が12000人で、車を作るのに4000人、米を作るのに8000人従事しているとする。一方、B国の人口は20000人で、車産業に10000人、米産業に10000人が従事しているものとする。そうすると、各国の車と米の生産量は、次のようになる。

表2.
A国     
車 1000台  米 1000トン  

B国
車 1000台  米 1000トン  

ここで、それぞれの国が自分のより得意なもの、つまり、A国は車、B国は米に生産を集中することにする。つまり、A国は、全人口の12000人が車を作り、B国は全人口の20000人が米を作るとしよう。すると、各国の生産量は、次のようになる。

表2.
A国     
車 3000台  米 0トン  

B国
車   0台   米 2000トン  

車1500台と米1000トンを交換してみよう。つまり、A国は、車1500台をB国に輸出し、それと引き換えに米1000トンを輸入するのだ。

表3.
A国     
車 1500台  米 1000トン  

B国
車 1500台  米 1000トン  

表1と表3を比べると、両国とも車が500台ずつ増えている。各国が自分の得意分野に集中し、それらを交換、すなわち貿易を行なうことによって、両国の利益になることがわかる。

-----------------------------------------------------------------

 私はこの理論こそ、教育の場で広めていくべき理論だと思います。成績が悪いと言われる生徒に展望を与えるものだからです。今、A君とB君の二人の生徒がおり、英語と数学の問題を解いているとし、両者が問題プリント1枚を解き終わるのにかかる時間が次の通りであるとします。英語も数学も、A君のほうが速く解けることがわかります。

表4.
A君     
英語 4分  数学 12分  

B君
英語 10分 数学 15分

二人に1時間の解答時間を与え、A君は英語36分、数学24分、B君は英語30分、数学30分で問題を解いたとすれば、両者が解き終わったプリントの枚数は次の通りになります。

表5.
A君     
英語 9枚  数学 2枚  

B君
英語 3枚  数学 2枚

ここで、A君が英語に、B君が数学に集中すればどうなるでしょう?つまり、A君は1時間を英語に、B君は1時間を数学にかけるのです。すると結果は次の通りです。

表6.
A君     
英語 15枚 数学 0枚  

B君
英語 0枚  数学 4枚

表5と表6を比べると、英語のプリント枚数が全体で3枚増えていますね。各自が自分の得意なものに集中することにより、全体の利益に貢献することができるわけです。

 B君の親は、B君に向かって「あんたは、A君と比べて、英語も数学もだめじゃないか!」などと責めてはいけないのです。できの悪い生徒も、「比較的」得意な分野があります。そこを伸ばすことによって社会に貢献できるのだということを教えるべきです。

 ちなみに、私よりも英語がうまい人は世の中にごまんといます。全国に英語教師が10万人いるとすれば、私の実力はおそらく58000位だと思われます。しかし、英語は、私の能力の中では比較的ましな分野ですので、私は英語の仕事をしているわけです。

 [12.11.2005更新]

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 最も影響を受けたテレビ番組

 子供の頃に受けた影響は、大人になってからも長く残るものです。テレビっ子だった私の場合、4つのものから影響を受けました。それは、@ウルトラマン A天才バカボン Bザ・ドリフターズ Cトムとジェリー の4つです。

 ウルトラマンは太陽エネルギーの制約から、地球上では3分間しか活動できません。そこで、3分の間に何とか仕事を処理する大切さを学びました。(笑)今の私が飽きっぽいのは、そのせいかもしれません。私は、仕事のテーマを見つけて、計画を立て、それを始めるところに一番興奮を覚えます。そして、仕事が8割近く終わる頃には、すっかり興味をなくしてしまうのです。(残りの2割を終えるのに、ものすごい時間がかかります...笑)

 天才バカボンは、数年前に「赤塚不二夫展」が開かれたときに、復刻版の文庫本セットを全巻買い、それ以来、2年に1回、通して読んでいますが、何度も読んだギャグなのにいまだに笑っています。特にすばらしいギャグは、パパが放つ「〜〜〜をしてはいけないと、国会で青島幸男が決めたのか?」というセリフです。当時、青島さんは参議院の全国区で上位当選をしていたのですが、青島さんがどんな人であるのか、パパは見抜いていたわけです。

 ザ・ドリフターズについては、何しろ、私は、「8時ダヨ全員集合」を、小学校1年生から大学2年生の終了時まで見ていましたので、これはもう、人間の成長期のほとんどをドリフとともに過ごしたと言っても過言ではないわけです。今でも、ただただ真面目なえらい人が堅苦しいスピーチをしているのを見ると、横から突っ込みをいれたくなったり、ただ真面目さが取り得の予備校生を見ると、その人の前でヒゲダンスを踊りたくなったりするのは、ドリフ精神の賜物といえるでしょう。しかし、ここで暗い記憶があります。私は、小学校4年〜6年の頃、裏番組である「欽ちゃんのドンとやってみよう」(通称:欽ドン)を見ていたために、その3年に限っては全員集合をほとんど見ていないのです。そのため、志村けんをスターダムにのしあげた「東村山音頭」をリアルタイムで知らないという、ドリフファンにあるまじき失態を犯したのであります。欽ドンを見た3年間は、まさに人生
の一汚点であります。(萩本欽一さんのファンの皆様には申し訳ありません)

 トムとジェリーも、何度も何度も再放送を見ては、同じところで同じように笑った作品です。3年前にDVD10巻セットを買って、ときどき見ています。幼い頃のアメリカのイメージは、トムとジェリーから作られました。大きな冷蔵庫、大きな牛乳瓶、大きなチーズ、大きなステーキ、色とりどりのゼリー、...そしてお手伝いさん...後に英語が好きになる原点は、トムとジェリーを集中して見ていたことにあるのかもしれません。

 [11.22.2005更新]




 通勤時間のリスニングと文法
 
 先日、次の質問を受けました。「通勤に徒歩と電車を使って、一時間かからないのですが、その時間も英語の勉強時間として使いたいのですが、より良い方法があったら教えて下さい」

 私の答は次のようなものです。「通勤時間は、私なら例文暗記に使います。 たとえば、家〜駅まで10分、電車30分、駅〜会社10分だとすると、家〜駅では、前夜に覚えた例文を唱えながら(頭の中に思い浮かべながら)歩き、電車内では新しい例文を覚え、駅〜会社では、電車内で覚えた例文を唱えながら歩くと、あっという間に会社に着きますよ」

 ただ、電車の中で小さな字を見つめていると目が悪くなりますから、カードや小さめのノートに、大きく太い字で書いたものを使うとよいでしょう。

 [10.23.2005更新]




 お見合い結婚と恋愛結婚

 先日、英文読解の授業で、昔は親が決めた相手と結婚しなければならなかったという内容の英文を読みました。そこで、ふと次のような意見が頭に浮かび、言ったところ、けっこうウケました。(笑)

「みなさん、現代の人は、親が決めた結婚やお見合い結婚より、恋愛結婚のほうがいいと思っているでしょう?しかし、本当にそうでしょうか?恋愛結婚中心の現代においても、結婚生活に不満を持っ
ている人はかなり多いのです。ただ、子供の問題、お金の問題、それから、親の反対を押し切って結婚したので離婚すると恥ずかしいという意地(笑)などのために、結婚を継続しているわけです。では、自分で相手を選ぶ恋愛結婚に後悔するのはなぜでしょう?それは、恋の炎が燃え上がっているときに結婚を決めるからです。人間、何事も、頭が熱くなっているときには冷静な判断ができないものですね。その点、親や親戚、世話焼きおばちゃんが相手を選ぶ場合は、冷静に判断を下しやすいといえます。ですから、お見合い結婚はよくないとは一概に言えないと思います」

 [10.9.2005更新]




 好きなことば
 
  みなさん、好きな言葉はありますか?私の場合、好きな言葉を聞かれたら、「好きな言葉は自業自得、嫌いな言葉は自己満足」と答えるようにしています。(笑)
 前にストレスをなくすために死を恐れないようにした話を書きましたが、自業自得という言葉をモットーにし始めたのも同じ頃です。人間はとかく悪いことが起こると人のせいにしがちです。しかし、自分の身に起こったことを人のせいにすると、それが元で大きなストレスが生じてしまいます。そこで私は、自分の身にどんな悪いことが起こっても、それは一切自分のせいであると考えるようにしました。例えば、私が道を歩いているときに通り魔に刺されて死んだとします。ふつうに考えれば犯人が悪いのですが、私の考えでは、私が悪いのです。なぜなら、その時間にその場所を歩いていたのは他ならぬ私自身であり、他の道を歩いていたら刺されずにすんだからです。また、道を歩いていたら隕石が降ってきて頭に当たって死んだとします。これも、そこを歩いていた自分が悪いのだと考えます。
 自業自得の考え方によってストレスは大きく減りました。ただ、政治への関心はほとんどなくなりました。選挙前の政治家の話は、他者の批判ばかりです。他者の欠点ばかり目立たせようとします。これが自業自得をモットーとする私にはつまらなくてしかたないのです。政治家が「今の日本の政治が悪いのは全部自分のせいです」なんて言っていたら落選まちがいなしですからしかたないですね。

 [8.30.2005更新]




 私と小説
 
 私は小学校の頃から本を読むのが好きでした。特に図鑑が好きでしたが、物語を読むのも好きで、小学校4〜5年生の頃は、ノートに短い小説を書いて友達に見せたりしていました。給食中に、おかずのシチューにハエを入れた犯人を捜す...といった推理小説を書いていました。

 ところが中学に入った頃から、物語・小説を一切読まなくなりました。理由は、ものすごい現実主義者になってしまい、フィクションを軽蔑するようになったからです。中学生当時の私の夢は、市役所職員等の公務員になって、老後に安定した年金をもらうことでした。(笑)当時ヒットしたゴダイゴの「ガンダーラ」の替え歌を作ったほどです。その替え歌の1番は、「それになれば、どんな夢も、かなうと言うよ。老後の生活も、安定してる。その仕事の名は公務員、親方日の丸ユートピア、どうしたらなれるのだろう、教えて欲しい。コウムイン、コウムイン、ぼくはなりたいコウムイン、コウムイン、コウムイン、夢の仕事公務員」というようなものでした。
(公務員の方で、これをお読みの方には、はなはだ不愉快な内容かとは存じますが、13歳当時の替え歌ですので、なにとぞお見逃しください)

 高校・大学に入っても、フィクションを読まない傾向は続きました。よく読んだのは、ガン闘病記、宇宙船の開発史、英語の勉強本などでした。

 大学卒業間際になり、ある人から、「太宰治の「人間失格」と夏目漱石の「こころ」はいいですよ」と勧められて読んだところ、「これは面白い!」とはまってしまい、結局それから1か月以内に、新潮文庫にある太宰治の本を全部買ってしまいました。(笑)人間失格の主人公の中に自分との共通点を見出したのと、太宰治の文章が持つ快適なリズムが自分に合っていたのだと思います。「子どもより親が大事と思いたい。子どもよりその親の方が弱いのだ」なんて文章をサラリと書けるとは、素晴しいの一言です。

 とはいえ、やはりフィクションはしょせん作り物に過ぎず、事実をそのまま記録したものには及ばないという考えは変わりませんでした。30代の初めに初めて靖国神社に行き、戦地から家族に宛てた手紙の実物などを読んで、私は心が大きく揺さぶられる思いがしました。と同時に、この世に小説家なんて一人もいらないと思ったのでした。小説の目的が人を感動させることにあるとしたら、靖国神社にある手紙に勝てる小説家なんか一人もいないと思ったからです。国語の教科書からも、小説は全部削除して、代わりに靖国神社の手紙を載せればよいとさえ思いました。
(中国の政治家で、小泉総理の靖国参拝に反対する者がおりますが、この反対は全く意味がありません。彼らは「A級戦犯を祭っているところだからダメだ」と言います。しかし、そもそもA級戦犯なるものを生み出した東京裁判自体が、裁判とは名のみのインチキなのですから、A級戦犯とされた方々は全くの無実、A級戦犯などというものはこの世に存在しないのです。存在しないものを理由にした反対は意味をなしません。)

 そんな私の小説蔑視に転機が訪れたのは、昨年の夏、サマセット・モームの「人間の絆」を英語で読んだときです。この小説を読んで、私はたびたび「うーーー!」と心の中でうなりました。モームの英語の素晴しさに対してです。「こんな複雑な内容を、よくもこんなに上手に書けるものだなあ」と感心したのです。まさに名人芸を見る思いでした。やがて私は、モームの名文をパソコンに入力し始めるようになりました。

 ここに至って私は、小説を書く目的が何なのかがようやくわかりました。小説の目的はただ一つ、素晴しい文章を書くことです。人を感動させることではありませんし、素晴しいストーリーを展開することでもありません。ただただ筋金入りの文章さえ並んでいたら、支離滅裂なストーリーで構わないし、極論を言えば、ストーリーなどなくてもかまわないのです。
 
 かつての私は小説を蔑視していましたが、それは、小説の目的が人を感動させることにあると思っていたためです。しかしこれは間違いでした。その間違いに気づいたとき、40歳直前になっていました。しかし、遅くとも気づいたのは幸いでした。今後の人生は、大いに小説を楽しんでいこうと思います。

(私は文学を学んだことがありませんので、専門家の方から見ると、実にくだらない暴論かもしれません。なにとぞご寛容願います。)

 [7.30.2005更新]


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 商売上手な人たち

 私は本屋に行くのが好きで、英語本売場にもよく足を運びますが、まさに玉石混交、ためになる本からガラクタ本まで実に様々な本がありますね。
 しばらく前に、難しい英文法をやらなくても英語が読めるようになるとのお触書で、かなりのベストセラーになった本がありました。私も将来売れる本を書く研究のために(笑)1冊買って読みましたが、「こんな本読むんだったら、大学入試用の英文読解の参考書をきちんと勉強したほうが遥かに有益だな」という結論に達しました。
 英文法の基本として、SVCやSVOなどの基本文型がありますが、この本では、それを□や○などの図形やイラストを使って説明していて、C(補語)とかO(目的語)という文法用語を使っていないだけなのです。ですから、やっていることは、ふつうに学校で習うことと同じで、ただ文法用語を使っていないだけやさしく見せかけているだけなのです。ですから、ふつうの学校文法が理解できる人がこの本を読む意味は全くありませんし、ものすごく頭が悪くて学校文法がわからない人(正しい指導を受ければ誰でも理解できるものですが)がこの本を読んでも、やっていることは同じなのですから、正しい理解に至ることはありません。
 私がいつも言うことですが、この本は資本主義社会の恐ろしさを示す格好の材料だと思います。本を作る企業は、人々に無理やりにでも本を買わせないといけないのです。そのためには、読者を錯覚させることがきわめて有効です。すなわち「学生時代英語が全然だめだったけど、この本はイラストもかわいいし、難しくなさそう」...こういう動機で本を買わせることを狙っているのです。
 「金儲けのためなら何でもあり」...これが資本主義です。企業は、読者が英語力をつけようがつけまいが、それは二の次なのです。ものを見る目を養い、時間とお金を無駄にしないようにしたいですね。

 [6.26.2005更新]




 英文法悪玉論
 
 今日、英文法無用論、英文法悪玉論が、少々うるさいようである。いわく、「文法をごちゃごちゃやるから、日本人は英語を話せるようにならない」という暴論が、まかり通っているようだ。これは、一般大衆に迎合した暴論である。多くの人にとって、学校の英文法の時間は眠い時間であった。実につまらない時間であった。だから、英文法無用論は、人々の賛同を得やすいのである。
 しかし、ちょっと待っていただきたい。英文法の授業が眠かったのは、文法が悪いのであろうか?これは、ただ単に、教える教師が悪いだけのことである。文法を理解していない教師(というより、教師もどき、いや、わかってるふりして生徒を煙に巻くことによってメシを食ってる寄生虫と呼ぶのが適当か)が、文法を教えると、必ずこうなる...

生徒:「....の場合はどうなるんですか?」
教師:「うーん。こうなるからこうなるって、覚えとけ!」
(ホントはわからないのをごまかしてるだけ)

生徒:「この和文英訳で、私はtheでなくてaを使ったんですけど、だめですか?」

教師:「いや、ここはtheでなくちゃいかん」

生徒:「どうしてですか」

教師:「語感だよ。英語をたくさん読んでいるうちに、aなのかtheなのかわかってくるんだ」
(実は、語感などではなく、教師用マニュアルに、theと書いてあったから)

文法がわかっていない者が文法を教えると、生徒の疑問に臨機応変に対応することができないため、マニュアルの解答を唯一の解答として、生徒に押し付けるしか能がなくなるのである。その結果、本来、きわめて生産的で、知的興奮が味わえるはずの文法の授業が、ぞっとするほど単調でつまらない丸暗記の時間へと堕すのである。

再度言おう。文法は絶対必要なものである。文法が悪いのではなく、不勉強で文法の基礎すら理解していない者が教壇に立つのが悪いのだ。

 [6.26.2005更新]




 究極のストレス解消法


 昔、予備校の仕事を始めて間もない頃、この仕事を続けていくには何よりも健康管理が大切だと思いました。病気で休んだりすると、クビになる可能性があるからです。そこで、健康を守るにはどうすればよいかを考えた結果、よい食事とストレスのない生活が重要であるという結論に達しました。そこで料理を自分で作るようにし、玄米も食べるようになりましたが、問題はストレス解消です。ストレスは、ある程度は減らせるにしても、完全になくすことは無理に思われました。そこで私は、人間にとって一番のストレスとは何かを考えました。答はすぐに出ました。それは間違いなく「死への恐怖」です。死への恐怖こそ、人間最大のストレスなのだから、死を恐れない人間になれば、日常の些細なストレスなど消えてしまうに違いない...私はそう考えたのです。

では、死を恐れなくするにはどうしたらよいか?そもそも、人が死を恐れるのは、死によって自分自身が消滅してしまうことへの恐れがあるからでしょう。だとすれば、自分が死ぬことは決して消滅で
はないと思えばよいのです。最初に、仏教が説く「輪廻の思想」が頭に浮かびましたが、自分が死んだ後に別のものに生まれ変わるというのは、どうも現実のものとして実感することができません。そ
こで、次のように考えました。私が死んで火葬場で燃やされたら、私は灰や煙になる。その灰や煙は遠い宇宙空間に行ってしまうことはなく、この地球のどこかにあるはずだ。つまり、私の体を構成し
ていたものは、分子レベルでいえば、この地球上にあるわけだ。例えば、私を燃やした結果生じた煙に含まれる二酸化炭素を、どこかの植物が吸って光合成の原料にするかもしれない...ここに至っ
てようやく、私が死んだところで、物質的に消えてしまうわけではないことを確信しました。私が死んで私という人間が消えてしまうのは嫌だと考えるのは、わがままです。私の体を構成する分子の皆
様には、もっと別の働き場所があるかもしれません。それを私の体にずっととどめておこうと考えるのは傲慢だと感じたのです。

「分子レベルで言えば、私の体を作る物質は消えるわけではない。ゆえに、死にたくないというのは単なるわがままである。」という考えを得て、私はほんとうにいつ死んでもいいと思うようになりま
した。ただ単に予想より早いか遅いかがあるだけで、死がいつ来ても「ああ、来たか。この世の皆さん、さようなら」と言える人間になりました。私の予想通り、死を恐れなくなってからの私は、スト
レスの重圧を感じることがなくなりました。仕事が忙しく肉体的な疲労がたまることはあります。しかし、それによって精神が追い込まれることはありません。目前の課題を一つ一つ処理していくのみ
だと、冷静に対処できるのです。私はストレスのない生活を手に入れたのです。

しかし、これは同時に、生きる目標の喪失につながったのです。「いつ死んでもいい」という考え方を持つと、「これから〜していこう」とか、「10年後までに〜を達成しよう」といった考えを持た
なくなります。毎日、死に向かって日々を過ごすのみの人生になるのです。来月死んでもいいし、来週死んでもいいし、今日の午後に死んでもいい...このように考えると、未来への展望が全くなく
なるのですね。私は、ストレスから解放された代わりに、毎日ただ時間つぶしをして生きるだけの存在になったのです。

私は現在、人生の真ん中あたりにいます。残りの半生を、時間つぶしのみで生きるのはもったいないと思うようになりました。そこで後半生の目標として、英語ができる日本人を一人でも増やすことを
定め、それに向かって日々活動していくことにしました。外国語学習の優れた方法をいくつも考案したいと思います。私が死んだ後でも人々に長く使われるような方法を生み出したいと思います。

 [10.9.2005更新]



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 人気講師の体型
 
 私は予備校で英語講師をしていますが、生徒の人気を集める講師に共通する体型があることがわかりました。それは「ややポッチャリのドラエモン体型であること」です。最近の著名人でいえば、ホリエモンこと堀江社長のような体型です。これは、受験生の心理とおおいに関係があると思われます。

一般に、受験生には不安を抱いた人が多いのです。彼らは、いつも安心感を求めています。ややぽっちゃり体型は、何ともいえない安らぎ・安心感を与えてくれるのです。不安があるがゆえにポッチャ
リ先生にひかれる...この事実を彼らは自覚していませんが、本能が安らぎを求めるのです。講師がタイミングを見計らって放つ、「オレの指導法についてくれば、絶対大丈夫!!」というセリフに
コロリと参るのも、不安感のなせる技であります。

 受験生の目的は、学力を上げて志望校に合格することですから、講師にほれ込んで猛烈に勉強することは大いなる善であります。お気に入りの先生を見つけて勉強に励んでいただきたいものです。

 [6.22.2005更新]


 演技術の要諦
 
 テレビや映画で俳優の演技を見たとき、それが自然な演技であるかどうかは誰でもよくわかることですが、では、どうすれば自然な演技ができるのかを考えてみたことはありますか。

単純な例として、家が火事になり、二階の窓から助けを求めて叫ぶシーンを考えてみましょう。どんな素人でも最高の演技ができる方法が一つあります。それは、家のセットに本当に火をつけることで
す。(笑)演技者は必死に助けを求めるでしょう。なにしろ、熱いし煙いし、死にそうなんですから、それはもう迫真の演技が撮れるはずです。

しかし、実際のセットに火をつけて演技者を焼き殺すわけにもいきません。そこで大切なのが演技者自身の想像力です。仮に、演技者のすばらしい想像力によって、実際には存在しない炎が見え、その
熱さを感じ、また実際には存在しない煙によって息が詰まるように感じるならば、それはセットに火をつけたのと同じくらい自然で真に迫った演技になるはずです。つまり、演技者がどれだけリアルな
想像ができるかが大切なのです。

以前、ある国で演じられた「ジュリアス・シーザー」の舞台で、有名な「ブルータス、お前もか!」のシーンで、シーザーを演じる役者の演技が素晴しすぎるほど素晴しかったのですが、実は、刺した
刀が本物で、本当に刺されていたのだそうです。これは一世一代の名演技になりますよね。

 下手な役者は、炎や煙を想像するのではなく、「2階の窓から大声で叫べと監督から言われたから大声で叫ぼう...」などと、自分のやるべき行動を考えながら体を動かすから、不自然でわざとらし
い演技になるのです。極端な話、セットに火をつければ、セリフなんていらないですよね。下手な役者は状況を可能な限り想像するという作業抜きで演技しようとするため、セリフに頼り過ぎてしまい
その結果、セリフを棒読みしているように聞こえるのです。

 [6.22.2005更新]


  「譲歩」と遠山の金さん
 
  英語を読んでいますと、「譲歩」と呼ばれるパターンがよく出てくることに気づきます。例文を見ましょう。

  It is true that John is young, but he is well experienced.

前半で「ジョンが若いのは確かだ」と言っていますが、直後にbut 「しかし」を付け、「彼はなかなか経験豊富だ」と言っています。発話者が言いたいのは後半の部分です。例えばこれが、職場での発
言だとすると、発話者は、「ジョンはまだ若いからその仕事のリーダーにはふ
さわしくないと言う人もいるだろうが、僕はジョンを薦めるよ。なぜなら経験がかなり豊富だからね」と言いたいのです。
この前半部分(確かに...だが)を「譲歩」といい、英語によく表れる型です。なお、上の例文は、
it isthatを省略して、

  True John is young, but he is well experienced. とも言えます。

 この「譲歩」のパターンは、英語の考え方に深く根ざしています。英文を話したり書いたりする場合に大切なのは、聞き手、読み手を納得させることです。そこで、あらかじめ予想される反論を先回り
して譲歩の部分に組み入れることによって、自分の意見に説得力を持たせるわけです。例えば、自分が原子力発電所建設推進派だとして、原子力発電所建設の意義を文章にまとめる場合、反対派から出
される反論をあらかじめ予想して、「譲歩」として文章に入れます。そしてその後に、
but… (しかし...)と書いて自分の主張を書くのです。「確かに、×××の理由から原子力発電は危険である
と言う人もいるでしょう、しかし、....」このように書くとたいへん英語らしい文章になります。

 私が高校生の時、英文読解で一番嫌だったのが、この「譲歩」でした。先生が「確かに...だが...」と説明するたびに、私は心の中で「どうせbut以下が重要なんだから、譲歩なんて面倒くさいものは省いて、最初から大事なことを言えばいいのに」と思っていました。しかし、今振り返ってみて、当時の自分がいかに愚かであったか深く恥じ入る次第です。英語の考え方では、文章の最初から最後まで自分の主張ばかり書くのは絶対にいけないことなのです。最終的に自分の意見が正しいと主張するにしても、自分の意見とは違う意見もきちんと紹介するのです。こうすることによって、筆者は客観的で公正な立場でものを考えていることを読者にアピールするのです。この「譲歩」の考え方をつかむには、欧米の裁判所と、日本の江戸時代の奉行所を比べてみるとわかりやすいでしょう。欧米流の裁判では、被告人にも「弁護人」をつけ、検察官と弁護人が論戦を戦わせるのに対し、日本の奉行所では、時代劇の遠山の金さんでおなじみですが、お奉行様が判決を下すだけで、弁護人はつきません。どんな悪党でも弁護人をつけるというのは、まさにこの「譲歩」の原理と同じですね。

 「譲歩」について、さらに驚いた経験があります。中学生に国語を教えてきたときのことです。200字弱の作文を書いてもらったのですが、何十枚かある答案の中で、「おや?」と思う答案が2枚あ
りました。なぜ目を留めたのかといえば、文章の中に譲歩パターンが使ってあったからです。「確かに...と考える人もいるかもしれない。だが...」のように書いてあったのです。彼らに聞いて
みたところ、この2人は、子供の頃に数年間アメリカに住んでいたということが判明しました。譲歩パターンが身に付いていたのですね。

 [6.16.2005更新]


  I氏とM氏の決闘


  ぶっそうなタイトルで恐縮ですが、私が実際に見た実話です。I氏は中国の古典に造詣が深い博識の人(ただし英語は全くできません)、M氏は英語が好きでアメリカナイズされた人です。あるとき、この2人が議論、というよりI氏が説明するのをM氏が聞いていたのですが、最初にこやかだったM氏も、話が15分を過ぎた頃からイライラした表情を浮かべるようになり、25分を過ぎた頃には、I氏への敵意をみなぎらせて(笑)いました。I氏は、話好きな人ですからそんなM氏の表情に気づかず、ペラペラペラペラ
...傍で見ていた私は実にヒヤヒヤしました。
 
では、I氏の話のどこがM氏をいらつかせたのでしょうか?それは話の展開にあります。I氏の話は、あるテーマについて話し始めるものの、話が進むにつれてテーマからどんどんずれていきます。そして元のテーマと全然関係のない話に入っていくのですが、不思議なことに、1時間くらい話しているとまた元のテーマに戻ってくるのです。つまり、大きな円を描くような話の進め方なのですね。I氏の話によれば、中国の学問をやった人は、そういう話し方になるのだそうです。

これに対して、M氏の考え方は英語的です。最初にテーマを示し、次にこれについて論ずる内容が3つありますと述べ、次に第一は... 第二は...、第三は...と進めていくのが当然と思っているわけです。

 このような両者が話をすると、絶対と言っていいほど、話がかみ合いません。(笑)特に、M氏から見れば、I氏はものすごく頭が悪くて説明がまともにできない人になってしまいます。しかし、これ
は頭のよしあしではなく、単に説明の方法が違うだけなのです。自分と考え方が大きく異なる人と長時間話すときは、むやみに怒ったりせず、相手がどのような方法を使って説明しているのかを、よく
考えるようにしましょう。視野を広げる絶好のチャンスとなります。

 [6.16.2005更新]


 人間はなぜ平等か?
 
  私が高校1年生のときの校長は話し好きな人で、生徒をクラスごとに集めては、「どうだ、いい話だろう」とばかりにあれこれ話をしていました。ある時、「人間はなぜ平等か?」というテーマで話を始めたのですが、ものの5分もしないうちに、私はその話のあまりのくだらなさにあきれ果てることとなりました。なんと校長は、「人間は皆平等だ。なぜなら、皆、目は2つ、耳も2つ、腕も2本...どこか違うところはあるか?」と言ったからです。どうやらこの校長は、体に障害を持っている人のことは全く考慮していないようでした。生まれつき目が見えない人や耳が聞こえない人は下等なのでしょうか。私は、校長の説が間違いであることはすぐにわかったのですが、「どうして人間は平等なのか?」という質問に対する答は見出せないままでした。

その後、大学に入り、欧米の民主主義国家には「神が人間をつくったから、人間は平等なのだ」という考え方があることを知りました。神こそが絶対の存在であり、神に比べたら人間なんて、ゴミやチリに過ぎないわけで、ゴミやチリに身分の上下など考えられませんね。しかし、ここは日本です。日本人にキリスト教はなじみません。日本人でも納得できる考え方を見つけなければならない...そこでしばらく考えて思いついたのは、「人間一人一人はあまりにも違う。顔かたち、性格、能力...同じ人間とは思えないほど違っているじゃないか。全く違った者たちを比べるのは、珠算3段と剣道2段を比べるのと同じで、意味がないことだ」ということでした。皆同じだから平等なのではなく、皆あまりに違い過ぎて比べられないから、とりあえず平等とみなしておこう...という考え方です。ここに至ってようやく、中学以来の「人はなぜ平等なのか」という疑問に一応の決着をつけることができました。このように、私は昔から、世の中のことについて自分なりの考え方を持つように努めてきました。読者の皆さん、特に中学生・高校生の方は、学校で習ったことや一般常識にとらわれることなく、自由に思考を働かせてもらいたいものであります。

 [6.6.2005更新]


 


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